*雪華の由来*
雪華の名称は江戸時代末の古河藩主・土井利位(としつら)が雪の結晶を研究、記録した「雪華(せっか)図説」などから取ったもので、183種の雪華の模様があり、科学的業績として今日も高く評価されています。
土井利位は20年にわたり観察した雪の結晶を「雪華」と名付け、天保3年(1832)その成果86種を収録する『雪華図説』を刊行した。同11年に刊行される『続雪華図説』と合わせ、利位によって著された日本最初の雪の自然科学書として高い評価を得ている。
利位は、じつに多芸であったようで、学問の成果として『雪華図説』を、ほかに多数の書画をこんにちに伝えている。なお、政治家利位の業績も見逃すことはできない。天保改革の一翼を担い、水野忠邦失脚後では、首席老中として、赤字の累積する幕府財政の立て直しなどに大きな功績をあげた。